榛東わかばクリニック 内科、循環器科、麻酔科、ペインクリニック、リハビリテーション科

クリニックの紹介

クリニックの紹介

基本理念Basic philosophy

  1. 地域に密着した医院であり続ける。
  2. 暖かい心で患者様重視の医療を提供する。
  3. 説明と同意を徹底する。

院長 中沢克彦(なかざわ かつひこ)前橋の夜景がとても素晴らしく、気に入り榛東村で開業すること18年、これも皆様のおかげでございます。
常に地元の方々の健康管理、慢性疾患の治療に役に立ちたいと思っております。

往診・訪問診療なども患者さんの要望に応じて実施しております。
また専門的な事ばかりではなく、総合的にその人に見合った診療を心掛けております。
もちろん専門的治療が必要な患者さんには然るべき病院を紹介致します。

患者さんの病気だけでなく、その方の社会的環境・個人的事情などをふまえて、その患者さんの人全体として診させて頂き患者さんのご要望に出来るだけ耳を傾けるよう心掛けております。

榛東わかばクリニックの強みは、アットホーム的な雰囲気の中で診療を行うことでございます。お陰様で患者様には「先生には何でも言い易いから気軽に来られるよ」と声を頂いております。

ロゴに託す気持ちLogo mark

榛東わかばクリニックのロゴ

わかばが芽生え育ち、実を結ぶ。
小鳥が実を運びいつしか又わかばが育つ。
といった自然の大きな循環。

そのサイクルの中で我々が生かされ人と人の輪を作って行く。
その輪を繋ぐ手助けが出来れば、という思いを込めました。

ブルー、藍の色は何年経っても色せないということから、
「初心忘るべからず」という意味で選びました。

診察室

処置室

洗面台

トイレ

中沢克彦物語Nakazawa Katsuhiko story

幼少期はとにかく外で遊ぶ事が好きで虫捕りをしたり、近くの荒川で釣り三昧でした。
小学生時代は毎朝一番早く登校しグランドの場所取りして毎日野球をしてました。

実は父親は医者ではなく町工場を経営、母は工場を手伝っておりました。
ただ教育熱心な親で三人とも幼稚園・小学校・中学校・高校と 私立に通わせて貰いました。
かといって「勉強しろ」とうるさく言わない親でした。

またドライブや釣りの好きな父親で週末は明け方から車で釣りに連れて行って貰ったことを良く覚えております。

中学高校時代は卓球部に所属し、毎日練習に明け暮れており、勉強は二の次で授業について行くのがやっとでした。機械いじりが好きで中学時代は大学は工学部に行こうと何となく思っておりましたが 動物も好きで生物の授業も面白く人体にも非常に興味があり、高校になると次第に医学部に行きたいと思うようになって行きました。

鹿児島大学時代はウィンドサーフィン・モトクロス・軽音楽と 3つのサークルを掛け持ちし大学の講義には殆んど出席しない有様でした。

現在でも活動している音楽バンド、実は大学時代軽音楽部でドラムを担当したのがきっかけでした。当時はまったくの初心者だったので基本から練習に明け暮れておりました。当初はロックを演奏してましたが丁度その頃フュージョンが流行り始めた時代で フュージョンにのめり込んで行きました。

外国アーティストでは、スタッフ、リーリトナー、ラリーカールトン、 クルセイダーズ、スパイロジャイラ、グローバーワシントンJr.、ジョーサンプル、チックコリア、デビットサンボーンなど。国内アーティストでは、高中正義、カシオペア、スクエア、松岡直也、プリズム、ナニワエキスプレスなどを演奏しておりました。

鹿児島大学卒業後は大学の医局に残らず、東京神田の三井記念病院に研修医として入局し研修後麻酔科を専門として同病院に8年在籍。麻酔科標榜医・専門医を取得致しました。

その後縁あって群馬県沼田市の脳と心臓の専門病院に就職。麻酔科及び内科、特に循環器内科医として13年在籍。

医師としての得意分野は、麻酔科出身ですので患者さんの全身管理。生死の境にいる患者さんをどうにか助けてあげられる、ということです。

勤務医時代のエピソードとして深夜に心不全、心停止で運ばれて来た患者さんを2-3時間かけて蘇生し、朝までベッドサイドで治療を続け、1か月後に元気に退院していかれた事がありました。その時に「本当に命を助けて頂いて有難うございました」と言葉を頂きました。

頑張った甲斐があったと嬉しく今でも印象に残っております。 勤務医時代は救急病院だった事もあり、当直をすればまずは寝られない事が多く、翌日も普通通りに勤務でしたので体力的・精神的にかなりきつかったですがそれが今の礎になっていると思います。